人が居なくなるということから
まさじまです
今回の曲の投稿が1週間遅れてしまいました
実は祖母が亡くなりまして、曲の投稿どころではなくなっておりました
1週間前までは普通に話すこともできていたのですが
持病が悪化してすぐに入院し、そのままその週のうちに亡くなりました
最後に見舞いに行った時は、モルヒネで眠り続けていたにも関わらず、目を覚ましてなんとか話そうとしてくれました
-金星の丘より-
今回投稿の「金星の丘より」ですが
今年に亡くなった子のことを考えて、歌詞を書いておりました
また、周囲の人の亡くなってしまった家族や友人の話を聞くことも多く、
人が居なくなることについて、考えさせられることが多い日々が続いておりました
何処かで見た伝承で、「星はあの世から漏れた光」というものがありました
空の上にはあの世が広がっており、指の隙間から漏れる光のようにあの世の光が星という隙間から漏れ出ているという伝承
また、よく言われるのは「人は死ぬと星になる」という伝承ですね
どちらにせよ、亡くなった人が空から見守ってくれてるということに繋がり、見守っていてほしいという人間の願望から作られたお伽話ですね
人間はそうでもしないと人が居なくなるということを受け止められないのでしょう
仏教の教えでは、僕の祖母はまだ現世を漂っているはずです
年下の子はもう行ってしまいましたでしょうか
しかしそんなはずはないのです
私は霊は信じておりません
宗教もそこまで興味がありません
人が亡くなればこの空間には遺体だけが残り、故人の意識が何処か別に次元で生き続けることもないはずです
ほとんどの人がただ人が亡くなって一つの命が物体に変わっただけであることを理解しています
しかし、どうしても見守ってくれていると考えたくなってしまうのですよね
やはり私も人間なのです、と受け止めざるを得ません
さて、また曲についてですが、多くの伝承で死者と星を繋げて考えております
僕は、星になってもらうよりも、星から見守っていて欲しいなと考えました
そっちの方がそのままの姿でいてくれるじゃないですか
なんだったらできる限り近くて、見つけやすい星にいてほしいなとも思います
金星なんかにいてくれたら近くて、明るくてとてもいいなと思います
金星の丘で地球にいる自分たちのことを見守ってくれてるといいなと考えてしまいます
周りに小さく光る星々が金星からの手紙だったらいいなと思います
そしていつか自分の時がきたら金星で会おうと
そんな風に考えてしまいます
火葬場で最後に祖母に「またね」と声をかけてしまいました
諦められないのです、また会うという事を
会えるわけがないと人一倍考えている人間だからこそ、とてつもない寂しさに襲われてしまうのです
だからこそこんな幼稚な御伽話を作ってしまうのです
しかしこんな幼稚なお伽話に救われるのも人間です
そんな人間なのでした
居なくなったみんな、また金星でね
ばあちゃん、また金星でね
幼少期の祖母と祖父母の愛犬とのワンショット